十二国記、12年ぶりの新刊に湧いていました。
わああああわあああああ
待ってた!ずっと待ってたよ!干支がひと回りしても、アタイ小野主上のこと信じて待ってたよ……(重い)
待ってたのは当然このアタイばかりではなく、各地書店では売り切れの憂き目に泣くファンも多かったようです
土地柄、毎度コミックス入荷三日遅れの刑に処されている私は、しょ、小説はどうなん??どどどどうなん??と一週間くらい前から期待と怯えに踊らされていました
発売日に鼻息荒く書店に突撃して、入荷は来週です、ズコー!みたいな展開は容易に想像できたので、事前に電話を入れるなどして大人の余裕を見せてみました(その大人の余裕は一日遅れの入荷によって即座に剥がれ落ちるのであった)
名作としてコーナーが組まれて並べられていることはあっても、ここ十二年新しいものが出ていなかったので、「新刊」のコーナーに十二国記が置かれていることがゾクゾクしました
感想はネタバレに直結するので、記事を折り畳みます
未読の方はどうか、どうか決して覗かないでください…(鶴の恩返し風に)
■丕緒の鳥
とある友人が新刊の表紙のくたびれたおっさん誰だって言ってました。丕緒だよ。というか今回の新刊に出てくるのはだいたいくたびれたおっさん(公務員)だよ。だが仕方ない、そりゃくたびれもする。己を支える仲間や熱意や希望を一枚ずつ剥ぎ取られたあと、虚ろに長く生きるのはしんどかろう。丕緒が繰り返してきたように、王朝が立つたびに望みを失っていく様を見せられると、慶で女王が疎まれるのが悲しいけどわかる気がします。
それでも、簫蘭(簫の漢字めっちゃ探しました)が植えて願った梨の花と、射抜かれ砕け飛び去る鵲の射儀の様が、文字でしか描かれてないのに瞼に浮かぶように美しく、物悲しく、真摯でした。最後、職を辞する気だった男に閃きという生きる意欲を芽吹かせてしまうあたりが、よっ!人たらし! さすがは俺達の陽子!!俺達の主上!!俺達の景王!!
十二国記で主役が他の誰かだった場合、あの景王が出てきた時の「俺達の陽子」感は異常。俺達の陽子は万能でなくても、悩みながらも労を惜しまず道を拓いてくれるはずだ……新しい慶は明けたばかりだけど、俺達の陽子だから大丈夫だよ丕緒、これから先はやさぐれなくても、諦めなくてもいいんだよ
■落照の獄
ヘヴィー。もうつらい。yomyomで読了したあとも、胃の腑あたりに石押し込まれたような消化できない重量感でしたが、此度もまた。丕緒の鳥でうっすらと光を見出した直後、底に落とされたがごとくに闇。この収録の並び、鬼畜である。とはいえ、出だしからこれだったら、前菜から何食わせてんだという気もするし、ラストを飾られた日には編集ウウウウウ!!って後味の悪さに胸ぐらつかみたくなるし、これで正解なのかも知れぬ。
答えの出ない死刑制度を眼前に突きつけられて、自問自答を繰り返した果てにゆるゆる敗北感を味わうような、絶望の間にようこそ。司法の立場の瑛庚もそうではない妻も民も誰も間違ってなくて、かといってどれが正しいのかもわからない、架空の国の話だけどお前の国の話だよ、というのが十二国記はほとんどで、だからこそ重くて攻撃力が高い。少し前に某番組で某教授が引用していた「地獄への道は正義で舗装される」っていうのが漠然と浮かびました。それぞれが信じて疑わない己が正義のために戦い傷つけいずれ地獄へと導く。音もなく腐り落ちていく柳の国が現実と重なって、思わず沈黙する不気味さ。復讐と情を叫ぶしかない立場と、その両方では裁けない立場のその差もただただ苦しかったです。
■青条の蘭
たぶん読んだ方の多くがそうだったんじゃないかと思いますが、たどり着く?王の元に届く?報われる? とストーリーに手に汗握りつつ「ていうかこの国どこ!!?」に心を割いていました。これまでの語られてきた物語の中には必ず明示されていた国や王に関する記述がない。み、見落としたかな?いや書いてないよね?寒い国?戴か?恭がどうの言ってるし恭ではないんだよね?みたいな国あてクイズ状態。そして時代もわからない。い、いつ頃なんだよ!もちろん、どこの国かいつの時代かなんてわからなくても物語には差し支えないのですが、つい真剣に考えてしまうのが十二国記ファンだと思います。しかしここで馴染みのない「舜」とか言われても「お、おう」となるしかないのだが。
青条の蘭をツイッター上でどなたかが十二国記版走れメロスと評していて、なるほどど思いました。標仲が救うのは友だけでなく故郷も、国も、自分も、旅路に出会った誰もかれも何もかも。もう涙腺がじわじわ来ていたけれど「王宮に行かなければならないんだ、どうしても――どうしても、どうしても」と助けを求めたところでブワ…!その繰り返された「どうしても」に凍てつく道を死に物狂いで行った標仲の真に迫る切実さが込められていた気がして鼻水出ました。そしてそこから続く、一縷の望みを託した人から人へのリレー。
運び手の一人である子供が幼い弟へ「きっと王様が助けてくださるよ」。
もう、もうマジで届いてくれや。頼むから。報われてくれや……と鼻水止まらない。さっきの「落照の獄」の件もあるし、魂をえぐることにかけては小野主上は油断ならない。頑張ったけどやっぱりダメでしたー☆彡で終わったら私はもうどうしたらいいのだ……というハラハラ冷や汗な心境で目にした「玄英宮」の眩さたるや。だめでした。違う意味でだめでした。ブワ、どころじゃなかった。怒涛のように泣きが押し寄せてきました。雁と判明したこの安心感、果てしない。
鼻をすすりながら標仲の、包荒、興慶のその他関わった人全部の肩を優しく叩いてあげたかった。届くよちゃんと届くよ、苦労は報われるよ、無駄にならないよ、実を結ぶよ、傑物の王が荒地を治めてね、いずれ長い時間をかけて豊かで活気のある国になるんだよ、願った通りの未来がね、来るんだよ……
国名を伏せていてくれたことにありがとうと言いたい。最初から舞台がどこかわかっていたら、こうまで感極まるものはなかったんだろうなと思います(鼻にティッシュ押し込みながら)あえてどうなったか明かさない終わりも素敵だ。そのあとを想像して、じんわりと希望を噛み締めることができる。
標仲が途中、どうしてもっと重要だと考えないんだ!と歯を食いしばっていましたが、まさにそうだなあと心に刺さりました。民は目先のことしか考えない矮小な生き物というより、自分のことや子供や家族を守るのが精一杯で自分が生きているわずかの間のことしか目を向けられず、遠くを見る目も多くのものを支える手も持たない。だから命を長く持ち、遥か先の大局を見つめて国を治めていく王が必要なんだろうなと思います。猛烈に東の海神~を読み直したくなりました。尚隆ー!
■風信
王の暴虐や王の不在が民にとっていかほどの恐慌なのか、今回の短編集では詳細に描かれている気がします。「勘違いしていました、ごめんなさい。真剣に、真面目にやります。だから時間を戻して。」のリアリティが痛い。主役がくたびれたおっさんではなくなって、疲れた雰囲気や無骨さは消えたけど、その変わり年若い女の子の悲惨な現実に対する静と動のようなものが痛ましく切なかったです。十二国記の物語の多くは王と麒麟と国の中枢で描かれてゆくけれど、当然そのとばっちりを受けて果てていった民はそれこそ星の数ほどいるわけで、それでもそこで出来ること事をして生きていくしかないわけで。踏み潰されないように逃げて避けて息を潜めて呼吸するしかないわけで。けれど理不尽に奪い尽くされて心が凍った女の子は、奪われる前と同じように感情を揺らすこともできなくなってしまうわけで。
だから蓮花が蜂の群れを見て、燕の雛を見て泣いた時は、もう、もうもう私もたまらずウウッ…と。特に最後の燕のくだりの「新王が立ちます」に長い冬が終わりを告げてようやく春が訪れるような、そういう心持ちになりました。悪夢は終わるよ大丈夫、大丈夫だよ、新王は誠実な女王だよ、なにせ俺達の陽子なんだから(二回目)
ハー長らく待ってた甲斐がありました。
やっぱり十二国記の世界観は容赦ないけどたまらんです。
いま小野先生は長編を鋭意執筆中だとか。待ちます待ちます!もう一度12年待てって言われたら、な、なにぃーってなるけど、待ちます待ちます!楽しみにしております!
特にDOなってるの!?で時がとまっている戴あたりをよろしくお願いします!